2020年3月30日、午前10時ごろ。〈志村けんさん、新型コロナウイルス感染による肺炎で死去〉という衝撃ニュースが日本を駆けめぐった。各局、ちょうど、朝番組の生放送中ということもあり、「スッキリ」(日本テレビ系)の司会である加藤浩次は速報が流れるや否や「うそ」と絶句し、近藤春菜は泣き崩れた。「あさイチ」(NHK)では、料理を試食する直前に速報がながれ、報道のフロアに切り替わると、アナウンサーが伝えている間も司会の博多華丸をはじめとしたスタジオの面々の動揺が伝わってくるほどだった。
プロの司会者たちでさえ動揺するほど衝撃的なニュース、“志村ロス”は、芸能界にとどまらず、私たち一般人にも広がり、日本中を席捲。死去のニュースから数日たった今も、じわじわと心の深淵に染み入るように広がる喪失感に襲われた人は多数いると思います。1人の芸能人の死去で、ここまで喪失感を感じることはまれです。
1974年に脱退した故・荒井注さんの後任として『 ザ・ドリフターズ』のメンバーとして、デビューを果たした志村けん。その功績はここでは割愛するが、「ヒゲダンス」・「変なおじさん」、「ひとみばあさん」・懇親のギャグ「アイーン」・「だいじょぶだぁ」など、年齢問わずだれでもマネでき、シンプルかつダイレクトな笑いでお茶の間のスターだった。志村けんさんの実兄が「50年以上、芸能界の一線で頑張ってきたので、すごかったと思います」と弟の活躍を称えたように、驚くことに、お茶の間でいえば、3世代にわたって家族のスターを担ってきたことだ。
物心ついたころから『 ザ・ドリフターズ』の番組をみて育ってきた。小学校、中学校と「ヒゲダンス」・「変なおじさん」のモノマネを極め、そして、今では、自分の3歳の息子に志村けんのギャグを見せると瞬く間にファンになり、毎晩、「変なおじさん」を見せてくれとせがまれている。1日に放送された追悼番組「志村けんさん追悼特別番組 46年間笑いをありがとう」(フジテレビ系)でも、コントを食い入るように見つめ、「変なおじさん」のコントが始まると一緒にダンスを踊り、オチの「だっふんだ」で大笑い。して、終わると『 変なおじさん、みたい!』と泣き叫んでいた。
独特なシャウトに“ アイーン ”を代表する顔芸や、そして、“ 変なおじさん ”のリズミカルなダンスなど、子供が大好きなものがすべて詰まった、とっておきのギャグの宝庫だった。
コント・お笑い番組が少なくなった今の時代でも、精力的にコントを作り続け、私たちに笑いを提供してくれた。コメンテーター MCに方向転換する大御所が多い中で、笑いの原点を大事にしてきた志村けんさん。常に笑いを追求してきたからこそ、世代を超えて愛されるギャグを生み続ける事ができたのだろう。
ライフワークとなっていた「天才!志村どうぶつ園」(日本テレビ)では、チンパンジーのパン君をはじめとした動物とのやりとりでは時折見せる優しい柔和な笑顔の虜になった視聴者も多いはず。まさに温かい目で見つめる親戚のおじさんのまなざですね。
半世紀ものあいだ、途切れることなくお茶の間に笑いを届け、いつでも、出会える身近なスターだった。だからこそ、喪失感にうちひしがれる人々が多いのであろう。
高木ブーさんが前述した追悼番組で「志村は死なないの。ずっと生きている」と語ったように、私達の心に永遠に生き続けるだろう。そして『変なおじさん』ダンスはきっと、きっと次の世代へと受け継がれるはずだ。「天才!志村どうぶつ園」の園長が嵐の相葉雅紀に受け継がれたように、志村けんさんのギャグを受け継いでくれる芸人が現れることに期待したい。個人的には、志村と懇意にしていたお笑いコンビ「千鳥」の大悟(40)に、その役割を担ってもらいたいです。